スタートアップの現場より

目まぐるしい日々の一部でもお伝え出来ればと思います。

僕がMissingLink社を設立した理由。

Missing-link(失われた環/鎖)…古生物学における進化の途上に位置する発見されていない中間形の化石のこと。学術的には「未発見の中間型化石」とも呼ばれている。

小学生だった1999年、日本にも若い起業家たちが活躍する大きなきっかけとなった渋谷の「ビットバレー構想」が提唱された。
それはインターネットという新産業を選んだ起業家たちによる同時多発的なチャレンジの起爆剤となり、それなくして今の日本の活力はなかったとさえ思える新しい時代の訪れだったとさえ思う。
その様子を当時北九州、小倉の地から指を加えてみていた僕は2005年の夏。近くの家電屋でテレビの購入を諦め、パソコンを買う。あの日を機に、僕の人生は思ってもいない方向に転がり始めるなんて知りもせず…

友人たちとの遊びの誘いを一切断ち切り、幼馴染とパソコンの前で大半の時間を過ごす日々もそろそろ2年になろうかというタイミングで06から始まるみたこともない番号から電話がかかる。電話口では社名と担当者名が告げられ、開口一番「おたくのシステムを売ってもらえませんか?」

それからおよそ半年後。2007年1月。
業界を震撼させる「ライブドア事件」が勃発。
堀江さんの活躍をみながらいつも、「この業界では若くても、大人と対等に仕事ができるんだ!」と胸を踊らせていただけに当時のショックは大きかった。
その頃インターネットの本場アメリカでは、youtubeやクレイグスリスト、facebooktwitterなど、ベンチャー企業が次々と活躍。
そんな中僕は、完全無視していた青春時代と人生の小休憩を欲して大学進学の判断をする。

同級生や後輩たちと飲んで騒いで遊び、久しぶりにテニスも沢山やった。お誘いも頂き、ビジネスも結局そこそこやることになった。
毎日がそれなりに楽しく、そこそこの思い出もできたけど、「充足感」という意味では不十分だった。
そんな中、東京で出来た友人からプログラミングコンテストに誘ってもらった。

そこにはインターネット分野で一旗揚げようと挑戦する同世代の人たちが沢山いた。
最後に見た活気あるこの業界の姿がライブドア事件だった僕にとっては、あのときにタイムスリップしたのかと勘違いしてしまうほどだった。
出場したコンテストでチームは優勝し、興奮状態で京都へ戻り、結果として僕は大学を辞めた。
根拠はないが自身だけはあった。

次が最後になるかもしれないこの業界の波に次こそメインプレイヤーで乗りたい!
それ以上でも以下でもない。
それが、弊社設立のきっかけ。

具体的なサービス案や事業計画なんてなにもなかった。
震災直後ということもあり、変に男気スイッチが入ったことも一因なのかもしれない。 
だけどもしあのとき冷静な状態で思考が働いていたら、結婚を控えたあのタイミングでの起業はなかったと思う。

「世界中のリアルとウェブの間に潜むMissingLinkに、人々の日常を少しだけ便利にするサービス、ソリューションで挑戦しよう。」
僕らが志したのは、世界を少しだけ便利にすること。

MissingLink株式会社
http://www.missinglink.co.jp/